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今回の更新は完全なる個人の日記でありバンドのブログなのに音楽の話はおろか葬式の話とかを書いています。このコンテンツの私物化にいい加減メンバーも呆れてると思うし暗い話は聞きたくねえぜという方は見ないでおいてください。それでもセトニスタは見てくれると思う。優しい男さ。
祖母が亡くなってもう一週間。休みが挟まらず仕事に戻ったせいか疲れが抜けず毎日眠い。さすがに元気が出ないので頭を整理する意味で顛末を書く。このような体験は多くの人にいつか訪れる割に話題にはなりにくいし誰かのなにかの役に立てば報われる気もするしと理由をいろいろ付けて書きたいことを書く。
当日の夜に母からの電話で起こされ病院に駆け込むも時既にお寿司。悲しみに浸る間もなく傍若無人な看護士がノリノリで死化粧をしていて気味が悪かったし苛ついた。それはさておき事を進めなければいけない、葬儀は祖母の実家でやるというのは決めていたらしかったものの今日は遅いし一旦近くの葬儀屋に安置させてもらって朝出発かと思っていたら母が即座に葬儀屋に連絡して搬送車を手配し「生前お婆ちゃんはずっと家に帰りたいと言っていた、これに乗り込んで実家に連れて行くわ」という。午前1時半発で4時半着のコース。普通がわからないけど少なくともその瞬間の母の速度はマッハ越えの体感で、お、おう…としか言えなかったよね。母が着替えを取りに自宅へ帰っている間に待機していると先の看護師が「今から行くんだってよ、ないわー」的な話をしていた。死後に側にいてやらず悲しむ素振りも見せない遺族の我々に苛ついたところもあったようだが全員が全員同じ悲しみ方をするとでも思っているのだろうか、その一方的であまりにステレオタイプな感覚に恐ろしさすら覚えそこにIKKOがいたならば背負い投げを依頼しただろう。
仕事の準備をしたら追って実家へ向かうことにして一時帰宅するも地元の葬儀屋をググって取り急ぎの段取りを頼まれボソボソとした声の受付の方に事情を説明しようやく寝床についた。起きたら何をする、この数時間で起きたことはなんだったのかという二つを反芻するとほぼ眠れなかった。
とにかく寝て起きて高速を走り朝から来てくれた親戚と葬儀屋とで打ち合わせを夕方まで行い空き家歴半年の家にそのまま宿泊。寒いし暗いし明らかに不衛生で近所に店もない。母も疲れからかメガネをかけたまま寝る始末で黙って寝るしかなかった。カビ臭く湿気った布団の中で爆睡。
翌日からも葬儀屋より家に早く入り地域の慣習に沿ってゴリゴリと話を進めていく親戚に荒ぶる神を垣間見る。若干強引なところはあれど地域性の違いで分からないことも多く郷に入っては郷に従えの精神で従いまくり神のごとく崇め奉った。一連の日程、出席者への連絡、会食の席や引き物が決まり納棺を済ませればあとは弔問客の対応だけとなり一旦自宅へ帰宅。爆睡。自宅最高。wifiあるし暖かい。
明けて一連の式を2日かけて行う。父のときと違って地元の葬儀屋は細かい作法や段取りを教えてくれなかったがどうにかなるものだった。なんとなく始まってなんとなく終わった。一つだけ書くとすれば昼時の火葬の待ち時間に付けるおにぎりは必須。量も確認すべき。あとは志村の逝去を式の直前に知った。シムケン死んだってよシムケン!と姉が騒いでて驚きながら姉は志村けんをシムケンと呼ぶタイプなんだと思った。会食が終わって和尚さんが帰り順々に身支度を済ませる親戚に礼を伝え、余った飲み物や花を持たされて帰った。爆睡。そういう感じだった。なんの参考にもならないけどもう眠いから終わり。

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